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【がん闘病日記】

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題名がん闘病日記
著者森永 卓郎
出版社フォレスト出版 / 三五館シンシャ発行
出版日2024年6月
価格1,650円(税込)

「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」
医師からそう告げられたのは、2023年11月8日のことだった。余命4カ月の通告だった。私はにわかには信じられなかった。何しろ、なんの自覚症状もない。朝から晩までフル稼働で仕事をして、食事もモリモリ食べていた。

突然の余命宣告から、治療法の選択、
がんとお金、死生観…
満身の闘病ドキュメント

私は「いつ死んでもいい」とは思っていないものの、延命にはこだわっていない。
それは、いつ死んでも悔いのないように生きてきたし、いまもそうして生きているからだ。それが具体的にどういうことなのか。それをお伝えしたいというのが、本書のメインテーマだ。
(「まえがき」より)

引用:フォレスト出版

ポイント

  • 人間ドックで行われたCT検査で、がんが浸潤してきたものが見つかった。それはすでに原発のがんから転移しており、ステージⅣの末期がんであるという。何の自覚症状もなかったので、にわかには信じられなかった。朝から晩までフル稼働で仕事をして、食事もモリモリ食べていたからである。
  • 血液パネル検査で「原発不明がん」と診断された著者は、最終的には「オプジーボの投与」と「血液免疫療法」の組み合わせを選択することにした。ただ、「原発不明がん」は、敵がだれで、どこにいるのかまったく分からないため、がん細胞軍団への攻撃ができなかったのだ。
  • がんとの戦いが始まって一番大きな変化は妻との関係であった。
    結婚して41年、妻と過ごす時間はほとんどなかったが、今は妻と新婚生活を過ごしているような気分であり、毎日がとても楽しい。この人と結婚できて本当に良かったと心から感じている。

サマリー

青天の霹靂

余命4ヶ月の通告を受けたのは、2023年11月8日のことだった。

これまで、数カ月に一度のペースで近所の糖尿病専門クリニックに通い定期検診を受けていたが、その検査で医師から、「一度、人間ドックを受けた方が良い」と強く勧められたのだ。

人間ドックで行われたCT検査の画像には、肝動脈(肝臓に血液を送る血管)の周囲にモヤモヤとした影が映っていた。

医師の見立てでは、それはがんが浸潤してきたものであり、すでに原発のがんから転移して、ステージⅣの末期がんであるという。

何の自覚症状もなかったので、にわかには信じられなかった。

朝から晩までフル稼働で仕事をして、食事もモリモリ食べていたからである。

12月18日、妻と一緒にセカンドオピニオン、サードオピニオンと続けて診断を聞きに行ったが、どちらの医師も結論は近所の医師と同じであった。

抗がん剤で死にかける

がんの治療には摘出手術や放射線治療などさまざまあるが、著者の場合はどこにがんがあるのかわからないので、手術や放射線治療はできない。

唯一の選択肢は化学療法、つまり抗がん剤治療であった。

抗がん剤はがんの部位によって種類が分かれているため、「ゲムシタビン」という抗がん剤と「アブラキサン」という抗がん剤の2種類を同時に点滴することになった。

主治医は、「アブラキサンのほうが効果は高いが、副作用も大きいだろう」と話していたが、著者は意外と楽観的に構えていた。

初めて抗がん剤の点滴をしたのは12月27日、そのときは何の変化もなかったのだが、その夜から容態が急変した。

気持ちが悪くなり、物が食べられなくなり、寝込んでしまったのだ。

その後も体調はどんどん悪化していき、最悪の状況になったのは2日後の12月29日だった。

1日でイチゴを3粒しか食べられなくなり、意識も朦朧としてきて、このときばかりは「死」を意識した。

三途の川がはっきりと見えたのである。

念のために言っておくが、抗がん剤が悪いわけではなく、ただ、抗がん剤が私に合わなかっただけなのだ。

体がボロボロになってしまったので、まずは体力を取り戻すために、都内の病院に2週間入院することになった。

血液免疫療法の選択

都内の病院を退院し、血液パネル検査で「原発不明がん」と診断された著者は、最終的には「オプジーボの投与」と「血液免疫療法」の組み合わせを選択することにした。

オプジーボは、診断名が「原発不明」に変わったおかげで保険診療の扱いとなり、自宅近くの病院で4週に一度点滴した。

費用は3割負担で、月額20万円程度である。

一方、血液免疫療法は2週に一度のペースで行い、費用は1回50万円程度、1ヶ月で100万円ほどになる。

この方法を1ヶ月あまり続けた3月5日、近所の病院で造影CTを撮り、効果を確認した結果、肝動脈を覆っていた影は大きくも小さくもなっていなかった。

ただ、決着はあと数ヶ月の間につけなければいけない。

なぜかというと、オプジーボの効果は数ヶ月経つと落ちるので、それまでの間にがん細胞軍団を退治しなければならないからだ。

しかし、「原発不明がん」は、だれが敵で、どこにいるのかまったく分からないため、がん細胞軍団への攻撃はできない。

今おこなっている治療は、オプジーボで免疫細胞の元気を取り戻し、血液免疫療法で免疫細胞の数を増やしているので、免疫細胞にしか働きかけていない状況であり、ある意味で限界値なのだ。

そうした中で、前回の検査から2ヶ月弱経過した4月24日、再び造影CTの検査を受けたが、今回はがん細胞軍団がやや拡大していた。

今後、がん細胞軍団が優位になってくることがあれば、その場合の対処法は現段階で4つと考える。

  1. 原発が分からない状況下で、散弾銃のように幅広いがんをターゲットに抗がん剤を打つ
  2. より健康的な生活に変えることで免疫力を高める
  3. がん治療の優先順位を下げて、残りの人生で自分のやりたいことをやっていく
  4. これまで挑戦してこなかった別の治療法を試す

いまのところ、どの選択にするかは決めていないが、ただ、そんなに長くは生きられないのではないかと思っている。

しかし、絶望的になることはない。

いつ死んでもいいとは思っていないが、いつ死んでも悔いがないように、これまでも生きてきたし、今も生きているからである。

変化した家族との関係

がん宣告以来、猛スピードで生前整理を進め、家中を独占していた本も少しずつ整理し始めている。

その中で一番大きな変化は、妻との関係であった。

結婚して41年、妻と過ごす時間はほとんどなかった。

がんとの戦いが始まって以来、数ヶ月の間に妻と過ごした時間は、41年間の夫婦生活の中で過ごした時間よりも長いかもしれない。

今は妻と新婚生活を過ごしているような気分であり、毎日がとても楽しい。

この人と結婚できて本当に良かったと心から感じている。

そして子どもたちとの関係も大きく変化した。

東京の病院への入退院の際に車で送迎してくれるのは次男であり、長男も心配してちょくちょく我が家を訪ねて来るようになった。

2人の息子は、著者の仕事もオタク心も、しっかり引き継いでくれているのだ。

子育てにはほとんど関与しなかったが、うまくいったと感じる。

もちろん妻の貢献度は高いが、もうひとつ、子どもは親の背中を見て育つものである。

From Summary ONLINE

本書は、単なる闘病記ではなく、著者の人生哲学と死生観が詰まったエッセイである。

何の不安もなく暮らしていた日常は、ある日突然やってきた出来事によって大きく変わってしまう。

がん告知、治療の選択、抗がん剤の副作用、家族のこと、仕事のこと、そしてお金の不安…。

日々選択を迫られるなかで、精神が追い詰められていくのだ。

それでも著者は、どこまでも前向きかつ冷静に、最期には「お金より大切なこと」を語っている。

今、健康であると思っていても、明日は分からない。

自由に、やりたいことをやり、悔いのない生き方を問いかける一冊である。

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