インフォメーション
| 題名 | 新装版 明治維新という名の洗脳 |
| 著者 | 苫米地英人 |
| 出版社 | ビジネス社 |
| 出版日 | 2017年9月 |
| 価格 | 1,012円(税込) |
来年2018年は明治維新から150年の節目年。我々はいまだ、いかに支配されているか!?明治より現代まで、永遠に覆せない権力構造はなぜか?日本人を変えた戦後洗脳からさらにさかのぼり、日本人洗脳の原点を衝く! 明治維新については、我々はいかに情報の多さで惑わされているのか!たとえば、「勝てば官軍」という言葉の下にどれだけの情報操作がなされたのかは、ほとんどわかっていない。維新の時に内戦が始まっていたら西洋列強に乗っ取られて植民地になっていただろうというまことしやかな説も、戊辰戦争は間違いなく内戦だったろうし、いささか怪しい。尊王攘夷で外国船舶に無差別攻撃を仕掛けた同時期にイギリスに向けて長州五傑を留学させた萩藩(長州藩)の立ち位置も不思議である。維新の立役者とされる長州の財源は何だったのか?明治から始まった超洗脳の歴史を明らかにして、日本人の迷妄を解く、苫米地博士の脱洗脳本、決定版! ◎本書は「明治維新という名の洗脳」(2015年弊社刊 ISBN 9784828418414)に修正を加えた新装版になります。
引用:ビジネス社
ポイント
- 戦争は常にお金がかかる。一説によれば、明治維新前後で100万両〜150万両もの出費があったと言われている。現在の価格でいえば最大100兆円にもなるのだ。
- 維新の時の軍資金では、別会計として撫育資金と呼ばれるものがあった。撫育資金は、一般会計とは全く別の極秘資金とされ、藩主直轄の撫育局によって運営されていた。「撫育方の収支決算は別して密にする」、これが撫育資金のルールであった。
- 日本の官僚制度はエリートによる権力支配であり、これは明治維新政府を支配した長州閥によってつくられたものだ。そして、撫育資金とは現在の特別会計のことである。
サマリー
はじめに
「勝てば官軍」、この言葉は多くの示唆に富んでいる。
勝てば何をしてもいいのか、どんなことをしても許されるのかという、まさに明治維新を象徴する言葉であろう。
では一体、なにが勝者によって行われていたのだろうか。
例えば、萩藩(長州)の立ち位置である。
通常、萩藩といえば日本で最も過激な藩だと認識されており、事実、馬関海峡を通過した外国船舶に向けて、無通告で無差別発砲したのもこの一藩のみであった。
しかし、このとき萩藩は、同時期にイギリスに向けて密航留学生を藩費で派遣していたのだ。
外国船に向けて砲撃しておきながら、その2日後には外国に留学生を送るとは、萩藩はいったい何を考えていたのか。
もしかしたら、イギリス船には攻撃を加えていないのではないかという想像までしてしまう。
さらに、明治維新は他の歴史的な出来事と違い情報が多すぎて、どこまでが本当なのかわからないのだ。
情報過多の中、私たち日本人は重要なものが見えなくなっているかもしれない。
明治維新は現代と繋がっている。
その意味を考え、どうすれば本当の日本の夜明けを掴むことができるのか啓示したい。
明治維新を支えた金策
100万両の謎
戦争は常にお金がかかる。
明治維新を勝ち抜いた萩藩(長州)も、当然ながら維新の戦争では大金を使っている。
一説によれば、明治維新前後で100万両〜150万両もの出費があったと言われているのだ。
現在の価格でいえば最大100兆円にもなり、これは一藩で賄う金額ではない。
萩藩は江戸時代を通してずっと借金に悩まされ続けてきたのに、一体どうやってそんな大金を工面したのだろうか。
その理由について書籍などでは、ロスチャイルド家や長崎の武器商人であるトーマス・グラバーたちが金を貸していたとされている。
つまり、藩長が金を借りることができたのは、ヨーロッパの銀行家たちに信用されるほどの資産を持っていたということになる。
萩藩には相当量の金があったのだ。
しかし、萩藩の財政が逼迫していたのも事実であり、萩藩士族も町民も農民も、ずっと苦しい生活を送ってきた。
それでも、戦費が豊富にあったことは、萩藩最後の藩主・毛利元徳の個人資産100万両の謎である。
秘密資金の裏側
維新の時の軍資金では、別会計として撫育資金と呼ばれるものがあった。
撫育資金は、一般会計とは全く別の極秘資金とされ、藩主直轄の撫育局によって運営されていた。
「撫育方の収支決算は別して密にする」、これが撫育資金のルールであった。
撫育局は本繰の4倍の資金があったとされ、本繰が大赤字でも撫育は常に潤沢な資金があり、これにより、幕末に150万両もの軍資金を捻出することができたのだ。
だが、残念ながら手放しで絶賛できるものではない。
なぜなら撫育資金は、萩藩の領民たちから搾りとった重税を原資として構築された金だからである。
もしも、一般会計に組み込まれていれば戦争はできなかっただろうが、人々が貧困に苦しむこともなかった。
これが撫育資金の真実である。
特別会計と撫育資金
日本の官僚制度はエリートによる権力支配であり、これは明治維新政府を支配した長州閥によってつくられたものだ。
そして、撫育資金とは現在の特別会計のことである。
その証拠に、撫育資金と特別会計はあまりにもよく似ている。
一般会計の数倍の資金を持ちながら、何があっても一般会計とは無関係であり、中身を公にせず、使用目的も議会の承認を得る必要がない。
そして、担当者による無駄遣いまでそっくりだ。
特別会計は撫育資金そのものである。
これがわかると、なぜ特別会計が一般会計と別なのか、常に一般会計よりも潤沢な資金であふれているのかが理解できるだろう。
すべては「民よりも藩」「国民よりも政府」を優先しているからである。
明治の制度は、今になっても脈々と生き続けているのだ。
勝てば官軍
私たちは、いまだに明治政府の影響下で暮らしている。
「もし維新のとき内戦が始まっていたら、外国の植民地になっていただろう」などといった様々な言葉は、現代でも生き続けているのだ。
勝った官軍たちによるメディアコントロールが効いているのである。
なぜ、このようになっているのかといえば、日本ではまともな歴史教育をしてこなかったからだ。
私たちが近代史に触れるのは、ほとんど小説やテレビであり、その中で主人公たちに感情移入し、歴史もそういうものだというイメージをつけられてしまう。
例えば、「長州藩」という名の藩は日本に存在せず、正しくは「萩藩」である。
長州という呼び方は薩摩の薩州、広島の芸州と同じで、長門、周防のあたりを律令制区分で呼んだときの名残りだ。
たかが呼び方くらいと思うかもしれないが、正式名称が変わってしまっていることは重大な問題である。
これができるということは、歴史を曲げることができる確かな証明となるだろう。
しかも、変わったことにほとんどの日本人が気づいておらず、変わったもののほうが正しいとさえ思ってしまう。
これを「洗脳」というのだ。
わずか150年前の近代史をねじ曲げる力が、明治維新を取り巻く現象の中にあるということである。
From Summary ONLINE
本書では、明治維新を「日本近代化の始まり」ではなく、「支配のための洗脳の始まり」であるとし、再定義している。
今の制度の問題は、格差を生み出すことだ。
アメリカはすでにそうなっているが、お金がなければ盲腸の手術すら受けることはできない社会である。
そして、日本も徐々にそちらの方向に進んでいるという。
ゆえに、今すぐ民主主義に移行するべきだと主張しているのだ。
著者のいう民主主義とは、自分で考え行動すること。
誰かの奴隷でなく、自分のゴールを自分で設定し、動き始めることをいう。
「誰かに刷り込まれた情報ではなく、自分で調べ、判断した中で動いていく。それこそが民主主義のひとつの形なのである」
これが金融資本主義と戦う、ただ一つの力であると本書では強調している。
私たちは今もまだ、明治維新の洗脳を受けていたのか。