インフォメーション
| 題名 | AI vs. 教科書が読めない子どもたち |
| 著者 | 新井 紀子 |
| 出版社 | 東洋経済新報社 |
| 出版日 | 2018年2月 |
| 価格 | 1,650円(税込) |
東ロボくんは東大には入れなかった。AIの限界ーー。しかし、”彼”はMARCHクラスには楽勝で合格していた!これが意味することとはなにか? AIは何を得意とし、何を苦手とするのか? AI楽観論者は、人間とAIが補完し合い共存するシナリオを描く。しかし、東ロボくんの実験と同時に行なわれた全国2万5000人を対象にした読解力調査では恐るべき実態が判明する。AIの限界が示される一方で、これからの危機はむしろ人間側の教育にあることが示され、その行く着く先は最悪の恐慌だという。では、最悪のシナリオを避けるのはどうしたらいいのか? 最終章では教育に関する専門家でもある新井先生の提言が語られる。
引用:東洋経済STORE
ポイント
- 本書が問いかけているのは、「AIが人間を超えるか」ではない。AIと共生する社会において、人間は何を武器に生きていくのか。その問いが、本書全体を貫く中心テーマである。
- シンギュラリティとは、そのAIが自らより高性能なAIを生み出し続ける技術的特異点を意味する。著者は、この意味でのシンギュラリティは到来しないと考えている。
- 文章の文脈を理解し、状況に応じて判断し、人と関わりながら柔軟に対応する力は、依然として人間に求められる。ところが、人間自身が読解力を失えば、AIでは担えない仕事を人間も担えなくなる。
サマリー
音声で聴く
AI時代、人間に残される力とは何か
本書は、「東ロボくん」と名付けた人工知能を開発し、東京大学合格を目指すプロジェクトに取り組んできた数学者による、AI時代の未来予測である。
AIについて語られるとき、「人間の仕事が奪われる」「AIが人間を超える」といった期待や不安が繰り返し語られる。
しかし著者は、そうした極端な未来像に慎重な立場をとる。
本書の冒頭では、一般に人工知能と訳される「AI」と、AIを実現するために開発されている「AI技術」の違いを指摘する。
両者を厳密に区別するために、人工知能と訳される「AI」を「真の意味でのAI」、「AI技術」を「AI」と記述する。
著者によれば、現在のAI技術は高度な計算やパターン認識を行う技術であり、人間の知的活動全体を置き換えるものではない。
そのため、AIやAIを搭載したロボットが人間の営み全体を代替する未来は訪れないというのだ。
その理由として、AIはあくまで計算機であり、計算を超えた意味理解までは到達していない点をあげる。
しかし、著者はAIの能力を過小評価しているわけではない。
実際に「東ロボくん」は東大合格には至らなかったものの、MARCHレベルの大学に合格できる偏差値に到達した。
これは、形式的な処理やパターン認識において、AIが人間と同等、あるいは一部で上回る可能性を示している。
本書が問いかけているのは、「AIが人間を超えるか」ではない。
AIと共生する社会において、人間は何を武器に生きていくのか。
その問いが、本書全体を貫く中心テーマである。
シンギュラリティは到来しない
本書では、AIやシンギュラリティについて整理しながら、現在の議論に潜む誤解を指摘している。
著者によれば、現在のAI技術は高度な計算やパターン認識を行う技術であり、「真の意味でのAI」とは、人間と同等の一般知能を持つ存在を指す。
そしてシンギュラリティとは、そのAIが自らより高性能なAIを生み出し続ける技術的特異点を意味する。
著者は、この意味でのシンギュラリティは到来しないと考えている。
その理由は、人間の認識や理解を完全に数式へ置き換えることができないからである。
人間は、意識していることだけでなく、経験や常識、文脈といった膨大な暗黙知をもとに世界を理解している。
こうした認識の仕組みをすべて計算可能な形へ変換できない限り、人間と同等の知能を持つAIは生まれないというのだ。
東ロボくんの偏差値が65付近で伸び悩んだ背景にも、この限界がある。
つまり、AIは強力な道具ではあっても、人間そのものにはならない。
だからこそ、本当に問われるべきなのは「AIに負けるかどうか」ではない。
AIの限界を理解したうえで、人間がどのような力を育てていくべきかなのである。
AIより先に見直すべきもの
著者が強い危機感を示しているのは、AIそのものではなく、日本人の読解力である。
著者は、日本の中高生を対象に大規模な調査を行い、「教科書の内容を正確に読み取る力」を測定した。
そのために開発したのが、リーディングスキルテスト(RST)である。
その結果は衝撃的だった。
調査では、多くの生徒が中学校の教科書レベルの文章を正確に理解できていないことが明らかになった。
例えば、中学校卒業段階でも約3割が表層的な読解に課題を抱え、進学率100%の進学校においても、内容理解を必要とする問題の正答率は半数程度にとどまったという。
さらに著者は、読解力という基礎的な力は、高校卒業までに大部分が形成されると指摘する。
つまり、このままでは多くの人が、社会に出た後に必要な理解力や判断力を十分に身につけられない可能性があるということだ。
著者は、この現実をAI時代の大きな課題として捉えている。
なぜなら、AIが苦手としているのもまた、「意味を理解すること」だからである。
暗記や計算、形式処理はAIが得意とする。
しかし、文章の文脈を理解し、状況に応じて判断し、人と関わりながら柔軟に対応する力は、依然として人間に求められる。
ところが、人間自身が読解力を失えば、AIでは担えない仕事を人間も担えなくなる。
著者は、こうした状況が進めば、仕事はあるにもかかわらず働けない人が増える「AI恐慌」が起こりうると警鐘を鳴らしているのである。
人間らしく学ぶことが未来を変える
では、AIと共生する社会において、人間に必要なことは何か。
著者は、「人間らしく、生き物らしく柔軟になること」、そして「意味を考えること」だと述べる。
AIが得意とする暗記や計算に依存するのではなく、文章を読み、考え、理解し、自分なりに判断する力を育てることが重要になるという。
本書は、AIの進化そのものを論じる未来予測ではない。
むしろ、AIの限界を踏まえたうえで、人間にしか担えない役割とは何か、そして、その力をどのように育てていくべきかを問いかけている。
AI時代に備えるとは、新しい技術を学ぶことだけではないのかもしれない。
教科書を読み、意味を理解し、考え続ける力。
その一見すると基礎的な力にこそ、変化する社会の中で人間が可能性を広げていく鍵があることを、本書は示している。
From Summary ONLINE
著者は、「東ロボくん」の開発や読解力調査を通して、AIの進化そのものよりも、人間側の基礎的な読解力や意味理解の低下に強い危機感を示している。
特に印象的なのは、日本人の読解力が想像以上に低下している点と、AIに代替されない力として、文章を正確に読み、考え、自分で判断する力の重要性を指摘している点だ。
AI時代というと最先端技術に目が向きがちだが、本書はむしろ、人間らしく学び続けることの意味を考えさせる内容となっている。
未来への不安を煽るのではなく、これからの教育や働き方を見つめ直す視点を与えてくれる。
AIや教育の未来に関心のある人はもちろん、子どもの学びに関わる保護者や教育関係者、変化する社会の中で自分に必要な力を考えたい人にも示唆の多い内容である。