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【スポンサーは神さまで、視聴者は☓☓☓です テレビプロデューサーひそひそ日記】

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目次

インフォメーション

題名スポンサーは神さまで、視聴者は☓☓☓です テレビプロデューサーひそひそ日記
著者北 慎二
出版社発行 三五館シンシャ/発売 フォレスト出版
出版日2025年4月
価格1,430円(税込)

 

「テレビの裏でうごめく仕事」
テレビ局員が映しだす、
業界の栄枯盛衰
――枕営業ってありますか?

今、テレビ業界の闇、そしてテレビプロデューサーの裏の顔が世間の注目を集めている。
私は20余年にわたりテレビ局に勤務してきた。どこからどこまでが「表の顔」で、どこからどこまでが「裏の顔」なのかももはや判然としない。
テレビ局とはどんなところで、テレビプロデューサーの仕事とはいったいどんなものなのか?
――本書にあるのは私が実際に目撃し、また体験したことである。

引用:フォレスト出版

ポイント

  • 大学卒業後、関西で開局したばかりの「テレビ上方」に就職した著者は、4月1日、高揚した気分で出社したが、初仕事は花見の席を取ることだった。
  • 著者は新作アニメのプロデューサーをやることになった。しかし制作フィルムの納品が遅れるようになり、ついには放送当日の納品となる。編成局長に「いまだかつて放送に間に合わなかったことはない」と言われて安心していたが、全26回の放送が終わった後、音声監督から衝撃的なことを聞かされる。
  • 音楽番組隆盛の時代、人気音楽番組に携わるプロデューサーの熊谷氏は、その権力を背景に、ある“錬金術”を生み出した。そして彼のふところには莫大な印税が転がり込む。トラブルや悪い噂も絶えなかったが、彼はそんなものは存在しなかったかのように力をふるい続けた。

サマリー

音声で聴く

初仕事

少年時代からテレビ局で働くことを夢見ていた私は、大学卒業後、関西で開局したばかりの「テレビ上方」に就職した。

4月1日、高揚した気分で出社。

配属は編成部だった。

会合で社長のあいさつを聞き、上司に連れられて社内をあいさつ回り。

自席に着くと、先輩社員に声をかけられる。

「大阪城の西の丸庭園に行って、花見の席取りをしてください」

これが最初の仕事らしい。

桜が綺麗に咲いている場所にゴザを敷き、その中心にあぐらをかいて座る。

スマホどころかガラケーもない時代、ぼんやりしながら席をキープしているしかない。

日が暮れたところで宴が始まり、新人の私は自己紹介をさせられる。

「北慎二です! 大学時代は軟式テニス部の主将を務めていました。体力には自信がありますが、持病の腰痛がありますので、花見の席取りはこれっきりにしてください」

ウケ狙いもまじえ、渾身のあいさつをしたが、反応は薄い。

2時間ほど飲み会をして、「大阪締め」で幕となった。

テレビマンの“クリエイティブ”な仕事を想像していたのに、この日の業務は典型的な昭和のサラリーマン。

テレビ局で働くという高揚した気分はすっかり萎んだ。

初プロデュース

入社半年が過ぎたころ、『パンダ絵本館』という新作アニメのプロデューサーをやることになった。

ド新人がアニメのプロデューサーなど、在阪の他局ではありえない話だが、テレビ上方はそれほどの人材不足。

契約書のやり取りやスポンサー探しでひと悶着あり、なんとか放送がスタートしたと思ったら、また問題が起きる。

通常、制作番組は最低1週間前に納品されるが、それが6日前になり、5日前、4日前……と納品が遅れてきたのだ。

やがて納品は前日になり、ついには放送当日という異常事態に陥る。

当初は制作会社のプロデューサーが東京から大阪まで納品に来ていたが、それだと入館手続きに余分な時間がかかるため、私が東京からフィルムを運んでくるようになった。

遅刻したり、フィルムを紛失したりしたら、その日の放送に穴があく。

私は新幹線の中で、素材をヒザの上に抱きかかえながら、新大阪駅到着時間に目覚ましをセット。

しかし、緊張感で眠ることなどできなかった。

そんな日々が続き、音声監督はどうにかしたほうがいいと言ったが、編成局長は顔色ひとつ変えない。

「いまだかつてアニメが放送に間に合わなかったことなんてないんだよ。心配ない」

局長に言われると、不思議と落ち着いてくるものだ。

それ以来、技術スタッフから間に合わないかもと言われるたびに、「大丈夫です。なんとかなります」と余裕綽々で返事をし、無事に全26回の放送を終えた。

その打ち上げの席で、音声監督に声をかけられた。

「北君は1年目なのに、余裕あったなあ。ふつうこんな異常なスケジュールだったらオタオタしてしまうもんやけどね」

「いえ、局長から、日本のアニメで放送に間に合わなかったことは一度もないと言われたんで、安心していただけですよ」

「ええっ! 手塚治虫の『火の鳥』を制作したとき、放送に間に合わず急遽番組を差し替えたことがあるんやぞ!」

瞬間、寒気が走った。

知らぬが仏とはよく言ったものである。

ある錬金術

「週刊近代」に、テレビ局のプロデューサーが、大物演歌歌手・五木ひろしのマネージャーに殴られたという記事が掲載された。

某キー局のプロデューサー・熊谷氏が、自局が「日本歌謡大賞」を放送する年に五木ひろしに大賞を受賞させるという約束のもと、接待を受けたり金銭の授受をしていたという。

ところが受賞したのは別の歌手で、マネージャーは激怒し、収録現場で熊谷氏を殴ったそうだ。

音楽業界は、一発当たれば莫大な利益が転がり込む。

一番わかりやすいのが賞レースである。

マネージャーは、なんとか一発当てようと便宜を図ったのに、見返りを得られず、実力行使に出たのだ。

熊谷プロデューサーは、いくつかの音楽番組を担当し、高視聴率を記録。

とくにアイドルの登竜門ともいえる番組は大人気で、タレント事務所は、売り出し中のアイドルをなんとしても出演させたかった。

こうした権力を背景に、熊谷プロデューサーはある“錬金術”を生み出す。

彼は作詞家としての顔も持っていた。

これと見込んだ歌手の作詞を手掛け、レコードのB面には彼が作詞した作品が入る。

それがヒットすれば、彼のふところには莫大な作詞印税が転がり込むのだ。

音楽番組隆盛のこの時代は、音楽番組を持っていなかったテレビ上方でさえ、レコード会社からの要望はひっきりなしだった。

あるとき、古本興業の社員に

「北さんのやってる番組で、この曲を使ってもらえませんか?」

と、所属のタレントの新曲らしいCDを渡された。

「少しですけど、このぐらいならお小遣い渡せますので」

彼はベタッとした笑顔で言い寄り、片手を広げる。

5万円ということだろう。

ずいぶんと安く見られたものだ。

「曲が良ければそんなお金は不要ですし、イマイチなら、いくらお金をもらっても使えませんよ」

と言ったが、彼はそんなことには慣れっこのようで、表情も変えない。

それはパッとしない曲で、後味の悪いやりとりがあったこともあり、採用しなかった。

音楽番組を担当したことのない私でさえこうなのだ。

人気音楽番組に携わるプロデューサーに、どれだけオイシイ話がもたらされるかは推して知るべし。

熊谷プロデューサーは悪い噂が絶えなかったが、それからも業界内で力をふるったのである。

From Summary ONLINE

ここ数年、テレビ局の問題が大きく取り沙汰されている。

そうした背景から、著者にも週刊誌からの取材依頼がきたが、短いコメントでは自分の意は伝わらないと断ったという。

そして、当時のありのままの姿を書き残したいと思ったそうだ。

本書は、いわゆる“暴露本”を期待する人には少し地味に思えるかもしれない。

だが、当時の事情について丁寧に描かれており、著者のテレビ業界への思いが伝わり、好感が持てる。

子どもの頃、テレビにかじりついていた世代におすすめだ。

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